自殺の心理学 高橋祥友

読みました。

自殺の心理学 (講談社現代新書) Book 自殺の心理学 (講談社現代新書)

著者:高橋 祥友
販売元:講談社
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部屋主の独断ランク:B

内容紹介のようなもの

「自殺を予防するための基礎知識」

目次

第一章 なぜ人は自殺するのか?

第二章 青少年の自殺

第三章 中年の自殺

第四章 高齢者の自殺

第五章 治療の方法

感想

勉強になりました。

少し古い本なので統計データに最近のがないのが残念といえば残念ですが、よくまとまっていると思います。

「自殺の危険が高まりやすい性格」「自殺の直前のサイン」「自殺したいと打ち明けられたら」あたりは読んでおいて損はないかと思います。

とりあえず「はじめに」だけでも読んでほしいですね。

あと、最初の方にある各年代における自殺率の変化をみると、高齢者の自殺率が昔の方がけっこう高いように見えます(部屋主の図の見方が間違ってなければ、1950年代と1990年代では男女ともに倍くらい違います)。

これはどういうことなのでしょうか。興味深いです。

抜粋

自殺するという人は本当は自殺しない。これはかなり広く信じられいる誤解です。しかし、自殺した人の八割から九割は実際に行動に及ぶ前になんらかなのサインを他人に送ったり、自殺するという意思をはっきりと言葉にだして誰かに伝えているのです

「自殺未遂者が将来、自殺によって生命を落としてしまう危険は単純に計算しても、一般人口の数百倍も高いことになります」

「高齢者では自殺の前段階のサインはあまりはっきりしないというのも大きな特徴です」

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家族力がうつから救う! 山口律子著

読みました。

家族力がうつから救う! [宝島社文庫] (宝島社文庫 F や 2-1) Book 家族力がうつから救う! [宝島社文庫] (宝島社文庫 F や 2-1)

著者:山口律子
販売元:宝島社
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部屋主の独断ランク:C

内容紹介のようなもの

約15人に1人がうつ病にかかっている現在の日本。

統計上では約7人に1人が一生の間に一度はうつ病にかかると言われている。

そのケアに成功した家族には共通する不思議な力があった。

たとえるなら「家族力」。

MDA-JAPAN(うつ・気分障害協会)を設立した山口律子が、そんな「家族力」を持つ家族が実行しているさまざまな知恵やアイデア、心構え、知っておくと楽になることを伝える。

目次

第一章 よくある「うる家族」の誤解

第二章 「うつ家族」の心構え

第三章 「うつ家族」が抱えやすい問題

第四章 今すぐ役立つ!「うつ家族」改善アイデア20

第五章 社会復帰へ。「うつ家族」最後の一歩

感想

まずまずですね。

よくまとまっていて「うつ」というものを理解するのにはなかなか良いかと思います。

また、うつを改善するための方法論も、色々と記載されており勉強になると思います。

ただ、この手の本ではいつものことなのですが、「それができれば苦労しない」といった記述が多いです。また、「それは矛盾してるんじゃないの?」感じるところも多いです。

例えば、「うつ病は家族の自己犠牲では回復しません」「無理をしてはいけません」などと書いてあるのですが、その一方で「Ⅰコミュニケーション(私が~してくれると嬉しいといった話しかけ方)を奨励したり、「3K(過保護・過干渉・過関心)」、「NGワード」を使うのをやめましょうと書いてあるのです。

やってみたらわかることだと思いますが、いちいちこういうことを意識しながら行動するのは、やる方にとってみるとかなり負担となることが多いです。はっきりいって「無理」です。

それ単体では特に間違っているといった記述がないだけに、「それができない自分は・・・」と、逆に家族を追い詰めてしまないかねないので、そうならないことを祈りたいところですね。

あと部屋主個人としては、こういう系統の心の病は社会構造の問題も大きいので、そちらに目を向けないといけないと思いますし。

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鬱の力 五木寛之 香山リカ

読みました。

鬱の力 (幻冬舎新書 い 5-1) Book 鬱の力 (幻冬舎新書 い 5-1)

著者:五木 寛之,香山 リカ
販売元:幻冬舎
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部屋主の独断ランク:B

内容紹介のようなもの

「『鬱の気分』が日本を覆っている。『鬱』イコール悪と思われているが、本当にそうだろうか?『鬱』こそ人間の優しさ・内面的豊かさの証であり、治療が必要な「うつ」病とはわけて考えるべきではあるまいか」(背表紙より)

はじめに―時代は『鬱』へと向かう

 「ちょっと鬱」くらいが正しい生き方

 鬱には生命力が秘められている

第一部 鬱は「治す」ものなのか

 「鬱な気分」と「うつ病」は違う

 泣くこと、悲しむことから力をもらう

第二部 日本社会は劣化したのか

 時代の先端に立つ人の心が壊れていく

 自殺は単なる「一人の死」ではない

第三部 「鬱の思想」を生きる

 鬱の悲しみは仏さんの悲しみ

 「人生は苦である」という出発点

おわりに 鬱は力である

 文明は鬱のなかで成熟する

 自分だけのために生きるのでなく

感想

まずまず。

いつも着眼点はよいけど(部屋主が色々と思うところがあるという意味で)内容がいまいちな香山リカ氏の著作だが、今回も着眼点は良いと思う。

内容に関しては途中から社会批判や宗教など色々な感じに飛んで鬱の話はどこへやらといった感じも受けるけど、こちらは今回はまずまずに良いと思う。

ただ痒い所に手が届きそうで届かない感じも強かったりする。

少し鬱傾向にありそれに悩んでいる方は、ダラっとした気分で読んでみると楽になるかも。

あと鬱に偏見がある人も軽い気持ちで読んでみるのもいいかと。

抜粋

『「今の世の中で気持ちよく明朗に、何の疑いもなく暮らしてるような人というのは、僕はむしろ病気じゃないかと思うんです。(笑)毎日これだけ胸を痛めるようなニュースがあって、気分が優れないのは当たり前でしょう。心がきれいな人、優しい傷つきやすい繊細な感覚の持ち主ほど、今はつらい時代です。そういう時代に「あーあ」と思わずため息をつくのは、その人がまだ人間らしさを残している証拠です。 いまの時代は「ちょっと鬱」というくらいが いちばん正しい生き方じゃないでしょうか。それまでもひっくるめて病気にしてしまってはまずいと思うんですよ

 「ちょっとでも非能率的なものは切り捨てるという風潮のなかで、もしかしたら一種の自浄作用として、社会の中から鬱というものが出てくるのかもしれない。でもそうなると、単純に鬱を全部解決すればいいということではなくなってきますね」』

いやほんとそう思います。

だから僕は、無気力な人は鬱にならないと言ってるんだ(笑)。エネルギーと生命力がありながら、出口を塞がれていることで中で醗酵するのが鬱なんですよ

これもほんとそう思います。

『「私もこのごろ、自分が精神科医として治療する中で、『うつ病』と『鬱っぽい感じ』の境界をはっきりさせなきゃいけないと思ってるんです。それでクリニックに来るひとに『あなたの場合は、うつ病と捉えなくても結構です。こういう悲しい出来事があったら、しばらく落ち込むのは当然ですから、時間が経てばちゃんと回復できますよ』って話すと多くの方はそれで安心するんじゃなくて、逆に『じゃあ、私のこの気分は、いったいなんなんですか』ってとても不安になるんです
 
 「むしろうつ病だと言われたほうが楽なんだ

 「たぶん病気によって、自分の輪郭やアイデンティティを与えてほし因でしょうね」』

これをどうしていくかが問題ですね。

一生でいちばん幸せだったこと、うれしかったことを回想してもらう。するとすごく細胞が活性化して、全身的にいい状態になっていく。そのあとで、今度は生涯で最もつらかったこと、切なかったこと、悲しかったことを、同じように回想してもらう。そうすると、この場合っもはっきりと細胞が活性化し、自然治癒力や免疫力が明らかに変わる

これは初耳でした。

今の若い人はみんな、自分がいちばん不幸だと思っていて、『あの人だってほら、こんなに不幸じゃない』って言っても、『その人のことはわからないけど、とにかく自分はこんなに不幸なんだ』って言う。そもそも、自分より不幸な人を見て自分を慰めるのがいいことかどうかはわかりませんが、あまりにも他者に対して、『あの人の立場だったら』『もし自分があんな状況だったら』ということを想像できない傾向が、今はすごく強いように思うんです

これも今後どうしていくべきか、難しいです。

もともと精神医学はノウハウ化できるものではなくて、医者それぞれの持ち味や経験が反映される部分が大きい。でもそれだといつまでも医学の世界で異端視されてしまう

ノウハウ化できないと思ってるなら・・・

心療内科や精神医学が医学の正道として評価されていくにしたがって、その仕事が増えていくでしょう。本当は医者がいなくて済む、病気のない社会の方がいい社会であるはずなのに、医師が増えると病気も増えるという矛盾がありますね

これまたその通りかと。

過去のいろいろな哲学者や思想家を見ていると、だいたいが鬱のなかで考えています。鬱というのは、これまで外に向いていた目が、自分の精神、魂、内面に向けられる。文明の成熟という意味では、鬱は決して悪いことじゃない

これもその通りかと。

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不安に潰される子どもたち 何が追い詰めるのか 古荘純一

読みました。

不安に潰される子どもたち―何が追いつめるのか (祥伝社新書) Book 不安に潰される子どもたち―何が追いつめるのか (祥伝社新書)

著者:古荘 純一
販売元:祥伝社
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部屋主の独断ランク:E

内容紹介のようなもの

「小・中学生のいじめ、うつ、自殺・・・

 小児精神科医が教える『こどもの危機』への具体的対応策」(帯より)

プロローグ 子どもたちの「不安」を増大させる背景とは

第1章 事件は「特殊な例」ではない。普通の子がなぜ?

第2章 いじめ問題の真因、「不安」のもたらす環境とは?

第3章 子どもの不安をなくす育て方とは?

第4章 子どもを不安から救うために、親と学級は何をすべきか?

第5章 子どもの「うつ」と、異常行動への対処法

感想

読んでて凹みました。

まず一番期待していた具体的な提言に関しては、だれでも考え付くし、すでに言われているいわゆる当たり前的なことばかりでした(なぜそうするべきかに関しても論拠は曖昧だし)。

うつや自殺やいじめといった問題も、知識がないのを露呈している感じがしています(「戦前の少年犯罪」の記事を参照してくみてください)し、統計を自分の好きなように解釈している節もあります。

というかむしろ、「そういうことは一応考慮に入れてますよ」的な文が入っているのをみると、わかってて書いてるという確信犯的な感じがしないでもないです。

もちろんいいところはあるのですが、あるから逆にそのギャップに凹みました。

あと「スクールカウンセラー」に増やそうといった提言をしているのですが、部屋主はこれに関しては色々t思うところがあり反対です(著者自信が書いてある問題点+カウンセリングを受けていた人間は責任を転嫁する傾向が高く犯罪率があがるというデータもあるそうですし)。

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「痴呆老人」は何を見ているか 大井玄

読みました。

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書 248) Book 「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書 248)

著者:大井 玄
販売元:新潮社
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部屋主の独断ランク:B

内容紹介のようなもの

「『私』とは何か?『世界』とは何か?人生の終末を迎え、痴呆状態にある老人たちを通して見えてくる、正常と異常のあいだ。そこに介在する文化と倫理の根源的差異をとらえ、人間がどのように現実を仮構しているのかを、医学・哲学の両義からあざやかに解き明かす。『つながり』から『自立』へ――、生物として生存戦略の一大転換期におかれた現代日本人の危うさを浮き彫りにする画期的論考」

第一章 わたしと認知症

第二章 「痴呆」と分化差

第三章 コミュニケーションという方法論

第四章 環境と認識をめぐって

第五章 「私」とは何か

第六章 「私」の人格

第七章 現代の社会と生存戦略

最終章 日本人の「私」

感想

非常に勉強になりました。

医学だけではなく「哲学」や「宗教学」といった、様々な側面から「痴呆老人」について書いてある良書かと思います

そしてそこが部屋主にとってはよかったです

後半は少々テーマからずれ過ぎている感じの部分もあるのだけれど(「苦痛の病気化」や「自立社会の呻き声」や「ひきこもりは『正義の芽』」についての考察のあたりは部屋主自身の考えと共通性が高かった)、それはそれで興味深かったですね。

認知症の高齢者を抱えている方や、親が少しそういう感じになってきているのでは・・・と悩んでおられる方は、一読していて損はないと思います。

抜粋

なぜ『痴呆』であるはずの人が、『正常』と思われていたのでしょうか。唯一可能な説明は、知力低下の有無にかかわらず、人間関係に応じて周囲の人たちの老人についての認識も変化する可能性がある、というものです

これがポイントなのかと思うのですよね。

話を通じさせる、ではなく、心を通わすのが、認知症の老人とのコミュニケーション(意思疎通)の極意である、とわたしは思っている

ふむ、確かに。認知症の老人と接しているとそう思ってしまいますね。

他にも色々と勉強になるところは多いのですが、全部抜粋していくと大変なことになるのでこのへんで。

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心を商品化する社会 「心のケア」の危うさを問う

記事、遅くなってすいません。そのぶん気合い入れて書きましたので勘弁しておくれであります。

心を商品化する社会―「心のケア」の危うさを問う (新書y) Book 心を商品化する社会―「心のケア」の危うさを問う (新書y)

著者:小沢 牧子,中島 浩籌
販売元:洋泉社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

部屋主の独断ランク:A

内容紹介のようなもの

「心」の専門家が幅を効かせ、「癒し」や「心のケア」という言葉が流行する背景にある、作為的に「心」をモノとして商品化する問題性に迫ります。

第Ⅰ章 心理主義とは何か 小沢牧子 

1 心理主義をどうとらえるか

「心の」氾濫について、切り刻まれる全体性(分業管理体制の進行と対象への全体的視野の喪失)、社会的不平等を隠蔽し下支えする心理主義、などについて書いてあります。

2 心理主義浸透の社会背景

個別化の浸透、減少するライブ体験とそれ補えない心理主義について、なんでも即時解決を求める消費社会の進展と時間軸の消失、最後に残された大きな市場としての「心」、などについて書いてあります。

3 個性の序列化と心理学

優生思想と個性、学問と政治の結びつき哲学的視点の消失と統治者に利用される心理学、などについて書いてあります。

第Ⅱ章 現代生活に浸透する心理主義 小沢牧子

1 作り出された「心」ブーム

「精神世界」から「ココロ」へのブームの流れ、学会の動きと政界とのつながりと「心」の商品化流行の関係、などについて書いてあります。

2 「心のケア」の増殖

必要な援助とは何か、論じるべき問題を覆い隠しこれを免罪することにつながる「心のケア」、労働現場のカウンセリング、人とのつながりを阻むカウンセリング、犯罪被害にどう向き合うか、などについて書いてあります。

3 女性問題と心理主義

関係技法としての心理学とその問題点、女性問題と自己主張訓練と権力、自己表現手法によって失われるもの、悩むことに専門家は必要かという疑問、などについて書いてあります。

4 社会の心理主義化がもたらす諸問題

物事を全体ではなく個人の感情問題に焦点づけてしまう心理主義の問題点思索から感情へ問題をすりかえてしまうという問題点、心理臨床家の資格問題議論の経緯、心の問題を扱う場合の責任、資格によって誰が守られるかという問題、などについて書いてあります。

第Ⅲ章 「心のノート」と心理学 小沢牧子

1 「心のノート」の背景

心のノートはどんなものか、徳育と心理学の結合、などについて書いてあります。

2 「心の教育」から「心のノート」へ

学校への心理学参入の歴史、民間資格であるにも関わらず国家資格と思われている臨床心理士(他にも10種以上おなじような資格が日本には存在する)、スクールカウンセラーを事実上独占している臨床心理士大学院指定制と臨床心理士(特定の大学院を卒業しないと受験資格が取得できない)、使う側の都合でどのようにでも利用できる便利で危険な「心」という言葉社会的視点を失わせる心のノート時の権力者や時代の状況の様相に大きく左右される心理学、などについて書いてあります。

3 「国の子」への誘導

国家と心理学、ファシズムと心理学のつながり、などについて書いてあります。

第Ⅳ章 予防的心理学的まなざしの浸透 中島浩籌

1 広がる予防的心理学的まなざし

「心のサインを見逃すな」ということの問題性、などについて書いてあります。

2 治療から予防へ-予防的まなざしの心理学

予防と危機について、危機介入の問題点、心の健康-不健康という見方自体のあやうさ、などについて書いてあります。

3 コントロール社会と予防的まなざし

閉じ込め・監禁から地域管理・コントロールの流れ、管理・監視テクノロジーとしての心理学、無限の介入可能性心理的介入の効果という問題性(有効だったかどうかがわからない)、心の専門家に頼ってしまおうとする教職員現実的具体的問題からの逃避させてしまう心理的まなざし、などについて書いてあります。

第Ⅴ章 成長促進のまなざしと自己実現 中島浩籌

1 心理学と自己実現の広がり

マズローの自己実現概念と産業界への浸透、などについて書いてあります。

2 自己実現を求める社会

教育界と自己実現、自己実現としてのキャリア形成、自己実現と能力を売り買いする労働市場の形成と生涯学習、能力開発とカウンセリング、などについて書いてあります。

3 自己実現の問題性

固定的アイデンティティから流動的アイデンティティの流れ、働くことに意味に悩む人々について、マズローの自己実現概念の危うさ自己実現社会と怠惰の関係、などについて書いてあります。

第Ⅵ章 解決ではなく問題を重視する関係 中島浩籌

1 問題解決を急ぐ社会

解がある問題と簡単に解が出ない問題について、人を苦しめ問題をすりかえてしまう解決を急ぐまなざしについて問題にされる悩みとそのまま放置される問題そのもの、などについて書いてあります。

2 解決よりも問題を

主体を追いつめる問い、問う力の重要性、などについて書いてあります。

部屋主の感想

内容紹介と抜粋コーナーが異常に長くなったので感想は短め・・・といいたいのですが、この手の業界に部屋主もいましたので、この本に関係しながらもこの本で言及されていないことについても少し触れておきたいと思います(ただ部屋主の知識はこの辺りおかしさについて調べていた数年前のものですので、現在とは違ってる可能性もあるのでもし間違っていたらすいません。教えてもらえれば訂正します)。

本書で何度も言及されるように、カウンセリングにはかなり色々な問題が存在します。

問題解決のために導入されているはずのカウンセリングがさらなる問題を生み出すし、そもそもその問題は解決できる類のものなかといったことをさらに考えてみなければならないと思います。

これらの問題については内容紹介や抜粋コーナーで触れているし、本書を読んでくれればわかるの思うのでここではもう触れません。

で、カウンセラー自身の問題です。

まず、この本でも臨床心理士の資格に関しての学会や政治の動きと、臨床心理士とはただの民間資格の1つだと書いてあります(確か国家資格にするという流れがあったような記憶もあるけれどどうなったのかな?とりあえずこの本が書かれた時点では)。

さて、この臨床心理士が事実上独占している職業にスクールカウンセラーというのがあります。

で、このスクールカウンセラーですが、「心のケア」流行で次々と生みだされた「臨床心理士」の臨時の就職先として作られたという噂を聞いたことがあります。あくまで噂ですが、学会と政府のつながりを考慮すると色々と邪推してしまいます(ちなみにこれを強く進めたのが先日亡くなった「河合」氏です)。

続いてこのスクールカウンセラーの養成過程ですが、大学院指定制度についての言及がこの本にもあります。上記したように指定の大学院を卒業しないと資格試験を受験できないというわけです。

民間資格だからそれもありかなとも思うのですが、この資格が市場を独占しているのですからこれは大問題でしょう。

さらにここからはこの本での言及はないのですが、この臨床心理士を生み出す試験やその他ものろもろについて部屋主の私見を述べたいと思います。

この試験の筆記試験の合格ラインは4割ということでした(数年前、複数のHP・ブログや人物や臨床心理士自身が述べていました。でも確実にそうとは言えませんが)。

大事な大事な資格試験の合格ラインが4割ですよ。車の免許でも9割、公務員試験の合格ラインも6割から7割と言われているのに。マジでビビリますよ。

でもこれで驚いていてはいけません。筆記試験を突破した人材が受ける面接についてです。

なんと、面接試験わずか10分だというではないですか(ちなみに臨床心理士の知人に聞いたところ、彼の場合は5分だったそうです)。

ようは4割の合格ラインのテストとわずか数分の面接で合否が決定するわけです。

大学院2年間の成績とかも関係あるかもですが、大学や大学院を卒業した方でしたら、いかにそのあたりの成績やらなんやらが怪しいことはご存知かと思われます(ちなみに部屋主のいた学部では大学院に来る人間がいないから、進学したいといった学生を、理事会が金のために進学レベルに至っていないのに入学させ、教授たちはいてもらっては困るとそのレベルではないのに卒業させるといったことがありました)。

そういうテストを突破した人間がスクールカウンセラーとしてやってくるわけなのですが、このスクールカウンセラーは、まともな精神を持つカウンセラーなら「やる」「やらない」ではなく「できない」というほど難しいものだそうです。

なぜ難しいかと問われると、この仕事は子ども達だけでなく、教職員や保護者にも対応せねばならなく、臨床心理というよりもソーシャル・ワーカー的な要素が強いのです。

しかも、大学・大学院のカリキュラムでは「病院臨床」や「民間相談機関」に対応していることが多く、「学校臨床」はそんなに得意ではないという情報もあったりします(少なくとも部屋主の通ってたところはそんな感じ)。

つまり、大学院卒業したての人間ではまずできない仕事というわけです(もちろん中には優秀な人もいると思いますが)。

なのに実際はそういう人物が学校にやってくるわけです。しかもこの就職(非常勤ですが)はコネによって決まる部分も大きいようです(少なくとも部屋主の知人はコネだったみたいです)。

もともとカウンセリングには様々な問題がある上に、それを行う人物にもこのような問題があるわけですから、もう何が何やらです。

さ・ら・に、このあまり役に立ちそうにないスクールカウンセラーはかなりな高給取りだったりします。部屋主の知ってるところでは時給5000円、1回8時間の勤務で日給4万円(週1だけど1人で複数の学校を担当できる)でした(平成17年で国の支援が打ち切られ半額になるということでしたが、どうなったのでしょうかね?半額でも日雇い派遣やってる部屋主から見ると半端ない高さです。ちゃんと仕事してくれるなら高くてもいいのですけど)。

はっきりいいます。税金の無駄遣いはやめましょう。もっとほかに使わなければならない場所があるでしょう。

確かに学校現場には何かしら援助は必要だと思いますが、このスクールカウンセラー制度ではいかなんと思います。

少なくとも、この本に書いてあるような問題点をクリアしてからにして欲しいものです。

・・・これについて熱く語る機会が欲しかったので、この場を借りて長々と語ってしまいました。すいません。

あと、上に書いた邪推にももう少し触れておかねば。

国を崇めさせるための「心のノート」と「カウンセリング」によって国民の「問う力」を削いで支配の構造を強めていきたい政府と、自分たちの利権である「スクールカウンセラー」と「将来のクライエント確保」を謀る学会の結びつき。

部屋主の邪推はこんな感じなわけですが、現状を鑑みるに、あながち間違ってないような気がするのですが皆様いかがでしょうか。

必要以上に長くなって・・・ってこともないと思いますが、当初に想定していた以上に長くなってしまったので感想はこのへんで(下の抜粋コーナーにまだまだありますし)。

こういうことを知らない人に情報を提示に問題提起をするという意味では良い本だと思います。

ただ、こういう現状をどう変えていくかには言及されていないのと(これが知りたかった)、知ってることが多かったので評価はBといいたけいところですが、問題提起本として評価Aをつけたいと思います。

この本から部屋主が選ぶ格言

「『心』に関する専門性が人びとの生活における状況的・社会的な要因を覆い隠し、問題を個人の責任に還元する構図は、あまねく存在している

これは前書きからなのですまったくもってそう思います。どう存在しているかはこの本を読んで少し考えてもらえればわかると思います。

カウンセリングは、狭義の治療という発想からすでに離れて、全ての子どもや大人への成長促進や内面の開発、また問題の予防や生活管理までも担おうとしている

怖いですよ、コレは。なぜ怖いかは・・・ここまで読んでくれた皆様ならもうお分かりですよね。

「モデルとして見習うおとなを見つける機会が少なく、仲間のなかでもまれながら人と人との関係の事実を学ぶ場にも恵まれない。個別化の環境に慣れているので、人に揉まれるのが怖い。その状況の中で若い人びとは、自分を成長させ自身を持つことのできる手がかりを探しているのだろう。そしてこの問題に手っとり早い解決方法などないにもかかわらず、不安や苦しさにかられて、心理主義的な世界と手法に幻想を抱く。カウンセリング業界の側も、カウンセリングは自己成長に寄与する方法を提供するものだと、宣伝する向きがある」

解決困難な問題を簡単に解こうする行為と、それにつけこむ行為。両方ともろくでもないです。迷惑さえなければ両方ともそのままでいいと思うのですが、そうも言ってられないことはここまで読んでくれてる皆様ならわかってくれると思います。

「実際には、個性に関する哲学的視点は、心理学領域においてはたやすく個人差への感心に移行し、ゴールトンやビネーがそうであったように、人間の比較・選別・排除の論理を提供する流れを生み出す。その論理と技法は、社会を統治する位置にある者たちによって要求され、歓迎されるからである。管理社会の色が濃くなるほどに、心理学はこうして人間管理の役割を担い、社会に重用され、人びとの意識に影響を及ぼしていく

いやほんと怖いです。実際にそうなのが怖いです。

職場、学校、地域、どの現場でも、時間のなかで共有されてきた問題の中身と解決の方向性は、現場がいちばんよく知っている。しかし、問題を現場から切り離さずに解こうとすることは、易しいことではない~略~しかし難しいからと切り離して専門家に問題をゆだねるとき、苦しみを抱えた仲間を、結果として排除するところにつながっていく

これを促進しているのが、そっちの方が自らに都合がよいいわゆる「上」の人と、自分たちが儲かるカウンセラーというわけです。

「『心のケア』概念はふたつの問題を含んでいる。ひとつは時間のなかで積み重ねられてきた日常の関係を断ち切るという問題であり、もうひとつは人の生活の全体性を崩すという問題である

どのようにしてこれらの問題が発生するかは読んでいただければ実によくわかると思います。実に重大な問題です。

「自己表現や自己主張の力は用意された正答に向けてのトレーニングによってではなく、考えを語りそれを分かち合い励ます、人の関係のなかから生まれてゆく。それに反して心理学主義的で手軽な技法の広まりは、人びとから悩み迷い考えぬく習慣を奪い、力を貸し知恵を借りあう関係の力を弱め、表現の意味をおとしめていくように思われてならない

前半はかならずしもそうとは思わないですが(本でもいいと思うので)、後半の考え抜く習慣を奪うというのには激しく同意、かつこれを最も部屋主は危惧しています。

「悩みを抱えた人はしばしば、次のような心境に追い込まれる。周りとの関係のわずらわしさによって傷つきたくない、これ以上疲れたくない、保護されたい、人に迷惑をかけ世話になって恩を着せられたくない、自分の弱みを知られたくない、金銭によって安全な関係を買えるものなら買いたい、などなど。一方、周囲の人びとはめんどうなことにかかわりたくないため、どこか見えないところたとえば専門家のところへ行ってほしいと願う。宗教や占いでは心配もあり、家族や友人として聞こえは悪いが、科学を標榜する心理学なら安全だし、申し訳がたつ。厄介なことを引き受けてくれる場があるのはありがたい。それらの要望に応える装置として、カウンセリング・心理療法が顧客を集める」

うまいこと言ってるかと思います。これまた両者ともやれやれですね。

専門家の資格作りが、いかに当の専門家の都合と縄張り意識に基づいているかが読み取れるであろう。心理士の仕事は、生身の人間を相手として成立しているのもかかわらず、患者、クライエント、利用者などと呼ばれる当事者の思いは無視されたままである

ふざけた話ですね。完全に舐めてます。部屋主の怒りは上記した通りです。

問題は資格によって誰が護られるのか、ということである。社会的地位、権益、報酬の面で、専門家自身が護られることは間違いない。しかも被治療者との関係でもめごとが起きた場合も、治療者側に有利な防衛手段にすることができるだろう

なんのため、誰のための問題性なのでしょうか。

治療場面で起こった問題やトラブルなど不都合なことは、相手の『難しさ』に帰結させる。相手が大変なので、仕方がないという言い方でことを済ませ、世間も専門性や資格の権威のもとにそれを納得してしまう

臨床心理士が医療過誤で責任を取らされた話題は、まったくといっていいほど表面にでない。それは『心』といい習わされる生き方の問題について、因果関係を立証することなどできないからである

「『資格がなければあやしげな宗教などにひっかかる人が増えるのではないか』という意見があるだろう。しかし資格で囲われた専門家の高い塀のなかでも、トラブルはより屈折した形で起きている。それが社会に見えないのは、被治療者が権威構造のなかで泣き寝入りをさせられたり、閉鎖構造のなかでことが隠蔽されたりするからである

心の専門家はまず自分たちを裁く基準をまず作るべきでしょう。偉そうなことを言い、高給をもらうよりもね。

専門家を含んだネットワークの広がりのなかで、生徒とのわずらわしい関係から逃れてしまいたいと思う教師が増えているという事実がある。理解しにくい生徒はカウンセラーにまかせてしまいたいと思っている先生も多くなっている。自分が培ってきた経験の枠組みでは理解できない生徒が現れた時、教師は思い悩み。そのひとりの生徒に振り回され、多くの時間をさくことになる。そんななか、そういった生徒に対応してくれる『専門家』が現れれば、そちらの方に生徒をゆだねたいと思ってしまう。もちろん、カウンセラーに対応してもらったとしても生徒との具体的直接的関係は消えはしない。しかし、それでもあれこれ悩むことは止め、カウンセラーのアドバイスに素直に従い、生徒との『問題』を考えまいとする人が増えているのだ。~略~教師はむしろわかりやすいアドバイスを出してもらいたがっているのだ。~では、生徒をゆだねられるカウンセラーのほうは生徒の具体的な問題提起を受け止めてくれるのだろうか。残念ながらそうとは言えないだろう

なぜそう言えないかは上の感想やこの本を読んでもらえればわかってもらえると思います。にしても長かった。

解決を急ぐまなざしは危機にある人びとを苦しめるだけでなく。問題をすり替えてしまう。当然、直面している問題は人それぞれで違っている。セクシュアリティの問題であったり、友人の問題であったりする。社会のあり方や学校制度への疑問であるかもしれない。『粋生きる意味とは何か』といった哲学的問題かもしれない。しかし解決を急ぐまなざし、すなわち心理学的予防的まなざしはそれを心の問題へとすり替えてしまう。~略~いずれにせよ、直面している問題は残っていく。『自分のセクシュアリティはどのようなものなのか』とか『自分はどう生きていけばよいのか』といった問題は『心の問題』として理解できるものではない。それどころか『心の問題』に還元してしまおうとするまなざしはセクシュアリティや生に悩む姿を見て、『不適応』というレッテルを貼ってしまいかねない。かつてはゲイの人たちを精神科医や『心の専門家』たちが『性的逸脱』と見ていたことを考えると、問題のすり替えは、問題に直面している当の人を『問題児』あるいは『問題な人』にしてしまいかねないのである

これだけ抜粋したら何を言わんかはいいですよね。これまた長くてすいません。

「『自分は・・・』と立てられた問いであっても、問題の成り立ちを個人の内面だけに求めることはできない。『問題』を心理学的に説明しようとしても無理がある。『問題』は社会や他の人たちとの関係のなかで生じてくるのだから

まったくもってその通りかと。

問うという行為は時にわたしたちのありかたを変化させ、他人とのかかわりかたや社会との関係の取りかたを根底から変化させてしまう力を持っているのだ。しかし、『心のケア』はこの問う力を鎮めてしまう~略~その結果『心の問題』や解決しやすい問題に焦点が合わされ、いつの間にか当初の問題は置き去りにされ、忘れ去られていく。わたしたちの暮らしのありかた、関係のあり方を根底から問うてくるような力を持った問題は横に置かれ、もっとインパクトの少ない問題へとすり替えられていくのだ。『手に負えない厄介な』問題に迫っていく姿勢を和らげ、『穏やかな適応』へと導いていく機能をカウンセリングは担っているのである。~略~こういった問題がいかに厄介なものだとしてもそれに迫っていく必要があるとわたしは考えている。なぜならば、その問題の多くはわたし自身のありかた、関係のしかたにも通底しているからである

これまた長かった・・・ここまで読んでくれた皆様感謝でございます。

あと、この本でも紹介・引用されている

カウンセラーは学校を救えるか―「心理主義化する学校」の病理と変革 Book カウンセラーは学校を救えるか―「心理主義化する学校」の病理と変革

著者:吉田 武男,中井 孝章
販売元:昭和堂
Amazon.co.jpで詳細を確認する

部屋主の独断ランク:A

ですが、こちらも本書以上に部屋主はオススメですので是非ともあわせてお読みくださいませ。

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狂気と犯罪 なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか

ここのところ精神障害と犯罪についての記事を続けてるので本日はこれを紹介したいと思います。なにやら宮崎哲弥謹製「ミヤザキ学習帳」が選んだ2005年新書「第1位」だそうです。

狂気と犯罪―なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか Book 狂気と犯罪―なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか

著者:芹沢 一也
販売元:講談社
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部屋主の独断ランク:A

内容紹介のようなもの

世界最多の精神病患者を持ち、社会から『狂気』を排除してきた日本の精神障害者の状は歴史的に形作られたものであるとして、この本ではその『狂気』を日本社会がどう扱ってきたかの「歴史」とそれをつくってきた「思想の流れ」に焦点を当てています。

第1章「社会から排除される『狂気』」では、明治初頭の「文明化」に伴う「野蛮」の征服(庶民の日常的な振る舞いが、文明という価値観に照らされて野蛮なものとみなされることなど)、警察権力による文明開化、望ましい国づくりのための矯正、その結果社会から排除される「狂気」について、癲狂院の誕生、などについて書いてあります。

第2章「『狂気』を監禁する社会」では、「日本初の精神障害者の処遇に関する法律が成立し(精神障害者監護法)、ひとりの人間を監禁するのに必要な正当性が医学の権威によって初めて与えられ、精神障害者の監禁をめぐり史上初めて警察が介入した『相馬事件』について」、相馬事件を無責任に報道したメディアによって作り出された精神障害者のネガティブなイメージ、それによって生み出された「狂気」を監禁する社会について、監禁場所としての精神病院、遅れる精神医学の学問的発展、明治40年に制定されることになる「刑法39条」、今と変わらず恣意的で滑稽な精神鑑定、などについて書いてあります。

第3章「法の世界における『狂気』の地位」では、江戸じ江戸時代の刑事裁判、暴力で江戸時代の権力、江戸時代の精神障害者(乱心者)の扱いについて、懲役刑という刑罰の文明化、囚人を矯正する権力、犯罪者という概念の誕生犯罪者の「人格」を裁くことの問題性、医学に侵食される刑事裁判、法の世界から排除される「狂気」、について書いてあります。

第4章「社会から『狂気』を狩り出す精神医学」では、「悪性」の予防とそれを見出す手段について、近代社会が抱え込んだ「精神障害者の人権」か「社会の治安」かということについて(「人道主義」と「治安」)、精神医学がここにもちこんだ「狂気」を「犯罪」の原因とする「最悪のフィクション」にして「最大の仕事」について、刑事裁判では無罪の根拠となる「狂気」を社会においては有罪判決の根拠に反転させる離れ業、「狂気」を狩り出す精神医学の野心と欲望の大きさ、「狂気」を捏造し拡大させることによって野望を成就させた精神医学、などについて書いてあります。

第5章「社会と法の世界から排除される『狂気』」では、高度経済成長期における精神病病院ブームと公的援助、戦後の精神病院列島の出現、それを加速させた「ライシャワー」事件、措置入院と触法精神障害者の実態、無視される病者の人権と幸福、史上初の「任意入院」の登場、改善にともない逆に行き場を失う「触法精神障害者」、刑法39条と措置入院(裁判から精神障害者を遠ざける検察と警察)、入院患者の4人に1人が精神障害者であるという事実、「歴史的」に作られ現在のような環境へ精神障害者を押し込めてきた「思考」からの脱却の重要性、などについて書いてあります。

部屋主の感想

実に興味深かったです。部屋主は学生時代、思想史の先生に目をかけてもらってたので、思想の流れとそれにともなって形成される歴史の重要性は認識していたつもりだったのですが、それがつもりだけだったと少し凹みました。

ここまで何冊か精神障害系の本を読んで紹介してきましたが、きちんと思想と歴史に焦点を当てているのはこの本くらいでしたので(今のところ)、このブログを読んでくださってる皆様も読んでみることをオススメします。値段的にも手頃ですし、読みやすいという点でも評価できrます。

それにしても、江戸の精神障害者の扱いや権力と刑罰の関係や、それが文明開化で変化していくあたりの過程など、ほとんど全く知らないことばかりだったので非常に勉強になりました。

そして、現在の精神病者の不当な扱いがそういう過程から発生してきていることや(この視点が獲得できたのは特に有意義かと思います)、メディア論やそこから派生するポピュリズムに関しても触れられている点もポイント高いですね。

あと、触法精神障害者の問題、精神鑑定の胡散臭さについてももちろん触れられてますが、これに関しては「そして殺人者は野に放たれる」「ドキュメント精神鑑定」「自閉症裁判」「累犯障害者」の方が詳しかと思いますので、これらとご一緒にお読みください。部屋主の感想もそちらで熱く語っていますので。

部屋主がこの本から選ぶ格言

精神医学は「狂気」を監禁する社会をなくそうとしたのではない。ただ、自らがそこで主役となるような論理をつくり上げたのだ

措置入院の増加は精神病院の経営を安定させた。~よくいわれるように。それは病院の「固定資産」となった

いつ退院できるかは、収容された精神病院の性格と、その院長の判断次第だ。たったひとつの判断基準は、「他害のおそれがなくなった」、つまり社会に対して危険がないと認められることである。このような曖昧な基準のもとで、一切の生殺与奪権が、精神病院長という個人の最長にゆだねられているのだ。しかも、合法的に身柄を拘束する権限が、営利組織である民間精神病院に認められている」

そう遠くない過去(戦前・戦後)と現代の日本の精神病院のありかたの一面を表した言葉です。正直怖いです。

いくつ精神病院をつくって、何万人の精神障害者を閉じ込めようが、たったひとつの事件が社会にヒステリー現象を引き起こす。どんなに隠蔽しようとも、社会は精神障害者とともにあることを知って、人々は愕然とし恐れおののくだ

「メディアの報道がそれに拍車をかける。~ひとりの「触法精神障害者」がすべての精神障害者を「代表」してしまうのだ。そして精神障害者の全体が、潜在的な犯罪者であるかのように見られてしまう。~だが、ほとんど全ての精神障害者は犯罪とは無縁に生活している。当たり前のことだが、これを人々は最も忘れている

これは部屋主たちのように無責任なマスコミや専門家などにおどらされる大衆の問題でもあるのでしょう。もっと知識とリテラシー能力を身に付けなけらばと再認識されられました。

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ドキュメント精神鑑定

心理学や精神医学がうさんくさいということは知っていますが、実際の「精神鑑定」はどんなものかはたいして知らないので、それを知るために購入してみました。

ドキュメント 精神鑑定 Book ドキュメント 精神鑑定

著者:林 幸司
販売元:洋泉社
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部屋主の独断ランク:A

内容紹介的なもの

精神鑑定に対する不信があちこちで言われるいま、どんな手続きで精神鑑定が始まり、何が、どう、「鑑定」されるのか、裁判ではどんなやり方はなされるのか。鑑定と法廷証言の実際を、豊富なケーススタディとともに描く、「精神鑑定」の入門本だそうです。

第1章「精神鑑定とは」では、精神鑑定という法律用語はないこと、精神科医療にも鑑定という言葉はないこと、適切な刑事処分を受けさせないために悪用される「措置入院」、積極的な論証不要かつ不能な前提である「責任能力」について、「善悪の判断能力」や「責任能力」を誰が判定するのかとその判定過程の胡散臭さ、起訴後の有罪率99%の日本の検察事情と起訴前鑑定、「心の闇の解明」などは不可能であること診断名の持つ意味と限界(診断名とは診療上の有用性のために付けられた略号にすぎないこと)、「操作的診断基準(DSM-Ⅳ)」について、悪質な犯罪ほど無罪になるかもしれないという奇妙な論理、などについて書かれています。

第2章「メイキングオブ精神鑑定」では、とある事例をもとに、対象者について、鑑定人となるまで(労多くして必ず敵の発生する仕事を喜んで引き受ける好事家はそうそういないので鑑定人天国に)、どこでどのくらい行うか、事前準備、問診風景、問診内容の記録と整理、検査は何をするべきか、鑑定書について(とりあえず病名をつけることなど)、証人尋問、などについて書かれています。

第3章「精神鑑定ケーススタディ」では、「①通り魔のケース1、エリートの転落」、「②通り魔のケース2、カルト」、「③躁状態での幼女わいせつ行為」、「④謹厳実直なサラリーマンによる娘殺し」、「⑤てんかん発作と母親殺し」、「⑥住民追い出しのためのアパート放火」、「⑦迂遠と連合弛緩の微妙な境界」、「⑧女子中学生誘拐犯の奇妙な動機」、「⑨生活環境改善のための自宅放火」、「⑩熟睡中の夫への突然の刃」という10のケースの内容と解説を通して、鑑定者によって診断結果が変わること精神障害の定義とその線引きの困難さ、日常誰にでも起こりうることがたまたま起こった場合もあるのに学問的な用語でもっともらしく表現されてしまうこと、精神遅延と責任能力、カウンセリングには「問題を曖昧に」し「依存心を助長」し「自立を阻害」し「責任意識を希薄」にすることの恐れがあること(カウンセリングには人の悩みや苦しみの原因をその人以外のものに発見しよう発見させようとする傾向があるため。非行少年のカウンセリングを受けたものとそうでないものにわけ長期追跡調査の結果、カウンセリンググループの方が重大事件を起こした確率が高かった)、などについて書かれています。

第4章「精神鑑定のたどる道」では、治療が行われない措置入院の実態、医療刑務所での経験、反社会性の問題、あらためて求められる精神鑑定の重要性、などについて書かれています。

部屋主の感想

この本を読んだのはブログをはじめる少し前で、さらりと読み直しながらなの記事作成でしたのでいつも以上にしょっぼい感想で申し訳ないのですが、少し前に「月下燕の日記」の「月下燕」さんにオススメしたので書いてみました。

にしても、のっけから「精神鑑定」という法律用語がないってことや「責任能力」判例上の定義などに度肝を抜かれたものです。これまでこのブログでさんざん「メディア・リテラシー能力を養うべし!」的なことを書いてきたのに恥ずかしい限りです。

とりあえず、この本を読んで思ったことはというか再確認したことは、心理学や精神医学って胡散臭すぎということです。精神鑑定の弊害を考えるとまだまだ実用段階にあるとは思えないんですよね(弊害についてはサイドバーで紹介している「そして殺人者は野に放たれる」に詳しいです。ごく簡単にいうと精神疾患を理由に罪に問われない犯罪者に焦点を当てた本です)。

特にケースのところの、鑑定者ごとの見解が表になったのを見ると、けっこう診断名に違いがある上、ほぼ全員が複数の病名を上げているのにあまりかぶっていなかったりするのですよ。そこから見て取れるのはせいぜい「このような傾向がある」ってことくらいじゃないでしょうか。でもって。それくらいは素人でもわかりそうですし。

とはいえ、この本ではあまり露骨に心理学や精神医学の批判はせずに(もちろんある程度はしてますが)、精神鑑定とはいかなる手続きでどのようになされるかに紙面が割かれています(約270P中200Pくらい)。でもこれに多くを取られ過ぎの感がなきにしもあらずといった感じがしないでもないです「。

もちろん同じ精神鑑定でも色々な過程と経過の具合がわかるので勉強になりましたよ(ちなみに「自閉症裁判」では一つのケースを解説することにより驚くほど様々な問題を浮き彫りにしています)。そして、今後の精神鑑定をどうしていけばいいかという提言をしている点もポイント高いかと思います。

もっと心理学の胡散臭さについて考えてみたい方は、この本の中でも紹介されてますし、このブログのサイドバーにも載せてある「フロイト先生のウソ」がオススメします。以前に紹介した「凶気の偽装」や「危ない精神分析 マインドハッカーたちの詐術」あたりも悪くないかと思います。また、精神障害を持った犯罪者たちに関しては「累犯障害者」がオススメです。

この本から部屋主が選ぶ格言

善悪の判断能力、そんなものを判定することを専門とする学問や業種が存在するのだろうか。答えは明確にノーである。心の専門家なら心理士か精神科医か、善悪の問題だから宗教家か哲学者か、社会問題だから社会学者か。論争の繰り返されてきた問題であるが~

まだまだ論争の余地があるものの、現在これを行ってるのは精神科医や心理士でしょう。そして、彼らや彼らの理論がおかしいことは上記したとおりです。そして心理や精神の分野だけで善悪の判断能力を判別するのはムリということを(少なくとも現時点では)この一文は言っているように思います。また部屋主としましては大脳生理学や神経生理学あたりをこの後に付け加える必要があると考えています。

きわめてまれなケースの問題を一般化して教育やしつけに持ち込んでも多くの無駄を生み出すばかりであろう

だと部屋主も思います。ここもおそらく利権となってるのでしょう。記憶が曖昧なのであれでうが以前にどこかで読んだような気がします。

何事につけても困難に直面すると『心のケアを』『カウンセリングを』と唱えることが配慮の行き届いた大人のすることである、とされる風潮には常々疑問を感じている。~一見気のきいた所作が、責任転嫁や問題隠しになっていないだろうか

まったくもってその通りだと部屋主も思います。3章の内容紹介の下部で触れたカウンセリングの弊害あたりからの抜粋なのですが、これが現れてきてるのが「教育分野」ではと部屋主は考えています。このへんについてはサイドバーで紹介している「カウンセラーは学校を救えるのか 『心理主義化する学校』の病理と変革」が興味深かったですね。

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そして殺人者は野に放たれる

今まで本紹介の中でけっこう頻繁に名前を出しているのに、この本自身の記事作成はまだでしたのでそろそろやってみたいと思います。部屋主としましてはあらゆる人に読んでほしい、そして考えてほしいテーマを扱った本です。

ちなみに第3回新潮ドキュメント賞を受賞しています。もひとつちなみに第1回の受賞作は以前に紹介した「戦争広告代理店」だったりします(この本の内容とかぶることはないですが、こちらも名著なのでお試しあれです)。

そして殺人者は野に放たれる Book そして殺人者は野に放たれる

著者:日垣 隆
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

部屋主の独断ランク:

内容紹介のようなもの

「心神喪失」の名のもとに、罪に問われない「精神障害凶悪犯」の報じられない「真実」に、心神喪失関連の事件で被害者や遺族の声を日本で初めて扱い、自らも弟が理不尽に殺され兄が精神分裂病である著者が迫ったドキュメント本です。

本書に登場する「刑法39条」とは、「心神喪失者の行為は、罰しない」、「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」というものです。「刑法40条」とは「インア者の行為は之を罰せず又はその刑を減軽す」というものです(インアは本来漢字ですが文字化けしてしまったのでカタカナにしました)。

序章「通り魔に子を殺された母の声を」

精神鑑定で不起訴となった通り魔に息子を殺害された母への取材を通して、「当時、日本全体で加害者には約346億円(国選弁護報酬が約46億円、食料費+医療費+被服費に約300億円)が投入されたが、被害者には5億7000万円しか支払われなかったこと」、犯人は現行犯だったにもかかわらずその場で逮捕されなかったこと、犯人が実名報道されなかったこと、不起訴になりそうなので(精神障害ゆえ)その後の報道が放棄されたこと、責任能力について、罪刑法定主義について、凶悪犯罪と精神鑑定と不起訴について、治療施設がない状態での心身喪失認定の問題性、などについて書いてあります。

第1章「覚醒剤使用中の殺人ゆえ刑を軽減す」

弁護士に教えられた「刑法39条(心神喪失・心神耗弱)」を専門家レベルで熟知し、前科9犯を悉く不起訴・無罪・刑の減軽にしてきた覚醒剤常用者が新たに起こした老夫婦殺人事件」を通して、警察・検察の怠慢捜査、「了解しがたい異常さ」が無罪または半減刑の根拠とされ異常な行動をとった方が罪が軽くなるという判例鑑定を誰に頼むかで結論が最初からわかってしまう日本の精神鑑定の現実、などについて書いてあります。

第2章「迷走する『責任能力』認定」

1章の事件の精神鑑定を通して、刑法39条や司法精神医学に通じた殺人犯が珍しい存在でないこと、検察官は出世に響くために『起訴した被告人が無罪判決を受けること』を最も避けるために法的根拠のない起訴前鑑定を行なって無罪になりそうな「気配」のある事件は起訴しないこと、根拠がなく流派や鑑定人によって変化する鑑定結果、必要以上に時間がかかり被告に論理的詐術の準備期間を与える精神鑑定について、即席鑑定人の問題、精神鑑定に投入される税金の問題、世界的にはアルコールや薬物を摂取しての犯罪には心神喪失・心神耗弱は認めず刑を加重すること、などについて書いてあります。

第3章「不起訴になった予告殺人」

「被害妄想的な嫌がらせで入院をさせられ、入院中も仕事をして親以上の収入を持ち、自分の入院は人権侵害だと公的機関に直訴状を書き、退院後に殺人にまで発展した事件と、その事件後、被告人とその家族を支援する精神障害者の会」の話を通して、精神障害者の人口比は1%なのに成人刑法犯検挙人員に対する精神障害者犯罪者比率は「殺人で8.5%」「放火で15.7%」に達していること、「精神障害者」と「精神障害犯罪者」を近藤してはいけないこと、不起訴によって「事件そのものがなくなってしまう現実」とそれにより口を閉ざしていた被害者やその遺族、精神科医の誤診、毎年100件以上の報道されない精神障害者の起こしたこのような事件があること、精神障害者を家族に持つことと社会の無理解(著者も家族に精神障害者がいる)、精神障害者が起こした事件の85%が心神喪失により不起訴になること(残りは心神耗弱で減軽)、不起訴後の精神障害者を処遇する受け皿がないこと、などについて書いてあります。

第4章「精神鑑定は思考停止である」

精神障害で不起訴となり刑罰とは無関係の措置入院となった犯人は数ヶ月で娑婆に戻ってくるため恐ろしくて事件を忘れるしかない被害者遺族について、著者は最初精神鑑定は必要だと考えていたら取材するにつれ確信をもって「鑑定は害悪」と思うようになっていったこととその理由を7つ(精神鑑定には検証反復可能性がないこと、鑑定人の一見善意だがなんの根拠もないただの意見である鑑定など、年間650件以上という精神鑑定の濫発)、過去に何度も受けた公的チェックで一度も精神病と診断されなかった男が事件後には精神病と診断されるケース、などにいて書いてあります。

第5章「二つの騒音殺人、死刑と不起訴の間」

人格障害と判定された被告による非常によく似た2つの殺人事件を通して、「心神喪失と心神耗弱を「了解不可能な異常」で決め、この概念を恣意的に適用する検察と裁判所の誤りについて」、酷似した事件にも関わらず殺した人数が3人か5人かで死刑と不起訴という対照的な結末を迎えたこと凶悪な人格障害者を一般の病院巣タップにケアさせる問題性、などについて書いてあります。

第6章「分裂病と犯罪の不幸な出会い」

司法・犯罪精神医学の泰斗たちの行なってきた鑑定を検証しながら、人格障害者は裁判所的には完全責任能力者であること、「国民に隠され続ける違法な簡易鑑定によって不起訴にされた凶悪犯が、仮に本物の精神病であっても治癒した場合、あるいは詐病であったことが発覚しても、2度と正式に裁かれることないこと」について、「医療現場で精神科医として精神障害者に相対するとき」と「司法の場で精神鑑定人として精神障害犯罪者に相対するとき」の違いについて(患者と犯罪者の混同)、犯罪被害者への配慮の伝統的欠如、などについて書いてあります。

第7章「日本に異常な犯罪者はいない」

生来性の異常性格と先天的に染色体や脳に異常が見られ同じような事件を繰り返す犯罪者のケース(殺人2回未遂も数回)を検証しながら、それぞれの事件時における関係者たちの無頓着さと無責任さ(近い未来に同じような事件を繰り返す危険性について)、精神鑑定書(矛盾した内容、飛躍した結論、強引な責任能力の有無判断)、たまたま持病が精神病だから免罪されることの理不尽さ、癲癇発作中に暴力犯罪をなしえるという診断の虚構、死刑にするためには正常な犯罪でなければならないという司法の自縄自縛(この犯人は『正常』とゆえに死刑の判決が下っています)、刑法39条の超拡大解釈の問題、「日本の刑事裁判では『正常』な犯罪者には思い刑罰を、『若干ヘン』な犯罪者には心神喪失・心神耗弱を、『かなり異常』な犯罪者は存在しないことになっていたこと」、などについて書いてあります。

第8章「闇に消える暗殺とハイジャック」

過去の暗殺事件やハイジャック事件を例にして、社会防衛上との理由で犯罪を実行していない段階での予防拘禁について、独断と偏見に満ちた精神鑑定、それにより作り出された「精神病=危険=社会から排除せよ」という誤ったイデオロギー精神障害によって「なかった」ことになった事件の犯人が起こすさらなる犯罪について、などについて書いてあります。

第9章「心神耗弱こそ諸悪の根源」

「心神耗弱」をめぐって激しく争われていた事件を通して、まったく報道しないマスコミ、心神耗弱という概念がいかに馬鹿げた法的屁理屈であるか刑法39条を削除することについて、心神喪失・心神耗弱を世界ではどうしているか、法曹人で世界の現状を知ってる人間が皆無であること、「正常」な凶悪犯罪などないという著者の主張、凶悪犯罪の重大な結果を生い立ちで割り引こうという馬鹿げた発想の問題、論理も正義も被害者への視点も皆無な判決文、などについて書いてあります。

第10章「判決に満悦した通り魔たち」

9章に続き罪を減軽された後にニヤリと笑った犯罪者たちの事件を例に、「刑事責任能力と妄想がどの程度関連するのか」ということについて、覚醒剤やアルコールを使用した犯罪者たちとそれによる減軽と再犯、などについて書いてあります。

第11章「刑法四〇条が削除された理由」

聾唖者ということで無罪や減軽となった事件を通して、精神障害者や聾唖者を「人間」とはみなさなかった司法精神医学の主観的ヒューマニズムについて、確信犯的に犯罪を行なう聾唖者とそれに利用される精神鑑定人と裁判所、聾唖者団体からの「人権侵害」という抗議で削除されたこと、39条は「日弁連」が反対して精神行会社の人権は無視され続けたこと(凶悪犯を無罪化するという弁護士の仕事がなくなるため)、政府が39条に対する法案を棚上げしたこと、について書いてあります。

第12章「日本は酔っ払い犯罪者天国である」

いくつかの飲酒時における事件を例に、著者の取材した「少年リンチ殺人事件」の8割で飲酒がなされていたという事実、飲酒時における犯罪の方が罪が軽くなること、それにより大量の飲酒時の事件が無罪・減軽となっている事実、「原因において自由な行為」が全く意味をなしてない現状、日本と世界の酩酊犯罪の刑罰比較、などについて書いてあります。

第13章「もう一つの心神喪失規定『準強姦』」

様々な強姦事件を例にあげつつ、強姦に関する現行刑法は明治時代に作られた旧態依然としたものであること、被害者に「心神喪失」のレッテルを貼り加害者を助ける「刑法177条・178条」について、既得権を維持するために必死な「法の番人」たち、「時代錯誤(女性をモノとして扱うこと)」や「差別(知能が劣った女性に対する)」が溢れる判決とそれを報道しないマスコミ、などについて書いてあります。

第14章「女性教祖『妄想』への断罪」

「璽光教」への日本初となる教祖への精神鑑定と、その精神医学的断罪が璽光教に決定的ダメージをあたえたこと(マスコミの態度が一変した)、などについて書いてあります。

第15章「家族殺しが無罪となる国」

一家心中などの事件を例に、親による子殺しは「殺人+自殺」以外の何ものでもないのに「無理心中」という言葉で了解されていること(子どもを殺すなどとは心神喪失でないとできないからなどといった理由で無罪放免となる意味と、世間的には殺しておいて逆に悲劇の主人公となるなど)、鬱病との関連があるとみなされるだけで人殺しも無罪にまたは刑半減の対象になってしまうこと、それが全く報じられないこと、良識ある精神科医の意見が裁判所に退けられたこと、法廷で「妄想」を証言し「自らも死のうと思った」との釈明が認められれば殺人ですら無罪となる現実、39条が適用される凶悪犯罪者の犠牲者は9割が顔見知りであること、などについて書いてあります。

第16章「人格障害者という鬼門を剥ぐ」

科学的定義ではなく文学的表現からはじまった人格障害の定義、「DSM-Ⅳ」で分類され定義された人格障害はだだの過剰な偏りにすぎないことだということ、これらによるレッテル貼りが人格障害を心神耗弱とする道を開くこと、多くの臨床家の間では人格障害は病気ではなく治癒の対象とされていなこと人格障害犯罪者を処遇する施設が日本にはないこと、これらの複合的要素により人格障害者への刑が減軽され何度も殺人者が野に放たれ、さらなる犯罪が繰り返されること、などについて書いてあります。

終章「古今東西『乱心』考」

ここまでのまとめです。1章から16章までで行なってきた著者の主張が理路整然と記載されています。

部屋主の感想

序章の感想

初っ端からムナクソ悪くなります。これまで「ご臨終メディア」「自閉症裁判」「累犯障害者」などで紹介したように精神障害犯罪者の実情を報道しないマスコミ、「結果」よりも「動機」や「判別不可能な犯行時の心の状態」を重視し「理解できない」や「不合理」といった理由で不起訴とする検察、被害者意識を考えない人権派弁護士に本気で反吐が出そうになります。

また、お店をやっていた被害者が知人や友人から「子どもをなくしたのにしっかりしている」と言われ「気がおかしくならなければ薄情だと言うの?」と自問し「おかしくなれるんだったら私だってそうなりたい」と思ったという部分は読みながら痛かったです。まだほんのサワリだけなのに読むのが苦しいです。

1章の感想

この事件の犯人「中山和男(当時34歳)」には心底ムカつきました。前科9犯を全て刑法39条を使って逃れ、さらにこの本で紹介されてる老夫婦を惨殺と逃走中に重ねた心神喪失を強調するための強制猥褻、覚醒剤使用中の殺人であったかどうかを警察が調べなかったゆえの虚偽(と思われる)自己申告(事件の隠蔽工作をしっかりしている)や、死刑判決後の家族・親族を利用しての情状酌量(結局、この犯人は無期懲役)・・・

同時に、覚醒剤使用中だからとその刑を減免する日本の司法制度も許せません。著者もここで「違法な覚醒剤を凶器のごとくテコとして使ったのだから凶悪殺人犯である彼の罪がより重くなる、というのなら誰しも了解できる。だが、証拠もなしに『いつもより強い』覚醒剤を打っていたという証言を鵜呑みにして、それを理由に、刑の倍化ではなく、むしろ減軽すべしという法的屁理屈は承服できるだろうか」と述べてますが、まさにその通りでしょう。少なくとも部屋主は納得いかないです。

また、被害者家族の「被告人の死刑を見届けることが、私の人生に変わってしまいました」といったような発言も痛いです(これにいたるまでの言葉も読むのが苦痛です)。

2章の感想

1章の中山和男のケースを例にした精神鑑定の話ですが、ここもやはりイライラします。このブログでも何度も精神医学や心理学に関する胡散臭さについて書いてきましたが、これらの胡散臭さが顕著に現れてくるのがこの精神鑑定の場だと思います。

この事件では3人の鑑定人が登場するのですが、1人目は根拠なく推測のみで有罪判決でいけるとし、2人目はたった4例に過ぎない自身の鑑定結果すら覚えていない無責任ぶり(検察に激しく追及されたようだ)と勝手に法律概念を定義してしまうという素人っぷり、3人目の大御所「福島章」鑑定人の最初から決まっているかの如き鑑定結果と事実無根の「福島説」などは読んでいて気持ち悪くなります。なんでこんなことが日本ではまかり通ってるんでしょうか・・・

さらに、鑑定にかかる時間(2日でやろうと思えばできることが数ヶ月かかる)に、この無駄っぽい作業に投入させる税金(このケースの福島氏の場合、実費は使い放題で、それとは別に検定結果の文章化に67万円ですって)・・・本気で反吐がでます。しかも結果は根拠のない鑑定人の立場などによる予定調和みたいなものらしいですから。さらに被害者遺族には裁判傍聴時や証言するときなどの交通費すら出ないということです。日本という国の理不尽さがよくわかります。

3章の感想

まず、逮捕される精神障害者の割合(精神障害者は逮捕されやすい、警察・検察に犯人に仕立て上げられるといった可能性や、再犯率やそうさせやすい環境というのがあると思われます)を知りながらも、「精神障害者による犯罪はほとんど起きてない」と精神障害者を家族に持つ人間の集会で発言する弁護士にイラつきましたね。

また、著者はここではあまり触れてませんが、部屋主としては誤診して退院させてしまった精神科医の責任はどこにあるのだろうと思います。精神科医の鑑定がしっかりしてればこの事件が起こってなかったような気がしますし(この事件における遺族と精神障害者を家族の対立も鑑定がしっかりしてればなかったかと)。

色んな事件が起こるたびに「心のケア」や「カウンセラーの派遣」が叫ばれますが、それだけ効果がある仕事をしてると仮定するならきちんとそれにともなう責任を果たしてほしいものです。半ヒキコモリ状態でニュースを見てますが、精神科医やカウンセラーが誤診で捕まったというニュースは1度も聞いたことないです(患者に対する猥褻で逮捕されたのは知ってますが)。

根拠の薄い鑑定で金をとり、結果に対する責任も負わない・・・なんていう職業なんでしょうか・・・また別の機会に述べますが(「カウンセラーは学校を救えるか」や「ドキュメント精神鑑定」で)、これらの害悪は教育分野に現れているきているように部屋主は考えています。

4章の感想

3章に引き続き精神鑑定の胡散臭さに関しての章だったのですが、感想はやれやれを通りこして怒りすら覚えます。精神鑑定の7つの問題点は全て妥当だと思います(まぁ部屋主のショボイ脳みそレベルの判断でですが)。

また、精神鑑定が科学的検証に耐えられないことに加え「ポパーの反証可能性(科学哲学の分野からの精神医学批判)」あたりを書いておいてもよいかと思いました(グリュンバウムの機能主義からの批判はあるからややこしくなるけど。ちなみに心を扱う専門家つながりということで、部屋主には何人か臨床心理士の知人がいますが、専門家のくせにグリュンバウムどころかポパーすら知らない人間ばかりで心底凹んだ記憶があります)。

それはさておき、ここでは被害者遺族が自費出版した「犯人を裁いて下さい」という本を、自分の著作の中で「犯人を裁かないで下さい」と茶化した福島章氏について言及されてますが、この日とはいったい何を考えてるんでしょうね。反吐が出ます。こんな人が精神鑑定の大御所だというのだから・・・福島氏に関してはこれ以外にもTV放送時の無責任な発言について批判した別の本を読んだことがあります。

5章の感想

何で同じような事件なのにこうもその後の対応が違うのでしょう。しかもこの判決は論理的におかしいんですよね(というかこの本で登場する判決ほとんどおかしい)。

なにより検察と裁判所の適当で一貫性のない態度が許せないですね。著者も「殺傷行為がエスカレートしていったことが『心神喪失』にあたると強弁するなら、大量殺人のほとんど全てが無罪か不起訴になる。途中でやめたら死刑だが、止めなかったら罪に問わない、などという法的屁理屈は国民感情にも全くそぐわない」と述べていますが、まったくその通りでしょう。日本の法曹界は何を考えてるのでしょうか・・・

6章の感想

日本の精神医療の先駆者たちが、精神分裂病ゆえに無罪という判決を連発してきた事実に腹が立ち、患者と犯罪者を混同してるという著者の指摘におもわずうなずいてしまいました。

また、伝統的な犯罪被害者への配慮の欠如は、日本に精神医療がもちこまれた当時からこの本が書かれた4年前、そして現在もほとんど変わってないことに怒りをおぼえます。どうやったらこれを改善できるのでしょうか・・・

そして、ここまでくると「精神鑑定が感想文にすぎない」とまで著者は言い切ってます。よくぞ言ってくれましたですよね。

7章の感想

ここは先天的に異常の確認できた犯罪者のケースについてだったのですが、著者がどのように検証していくか非常に興味深く読みました。

著者は「犯人に加害の意思があるかぎり、その犯罪に対して刑罰を科さなければならない。心神耗弱や心神喪失が認定されうるのは、例えば運転中にクモ膜下出血による意識不明下で事故を起こしてしまった場合や、常染色体異常(ダウン症など)の子が本人の意思とは無関係に背後の他人を蹴落としてしまったような場合に限定されるべきなのである」と書き、この後に39条の拡大解釈の問題について言及しています。部屋主もこの考え方に賛成です。やはり犯罪者は裁かれるべきだと思います。

とはいえ、ここらへんについては、今後様々な生理学的な分野からのアプローチなどが発展していくとどうなってくるかがポイントになってくる気もします。なんにせよ難しい問題でありますが、今までの日本のように刑法39条を拡大解釈する悪し慣習は即刻止めてほしいものです。

でもって、ここでも著者は「およそ精神鑑定とは、結論先にありきの有罪無罪を誘導するための便宜(フィクション)にほかならない」と言い切っています。まさにその通り爽快です。他にも報道されないことや、アルコールや覚醒剤の使用についても相変わらず触れています。

8章の感想

ここは視点を少し過去に移してありますが、書いてあることはここまでとさほど変わらず、精神鑑定の欺瞞とそれによって生み出される新たな事件、それを報道しないマスコミについてです。つくづくやれやれです。

9章の感想

ここでは殺人を犯していながら心神耗弱を理由に減軽され「ニヤリ」と笑った2人の被告の事例が書かれているのですが、ムナクソ悪くなることこの上なしです。そしてこのような犯罪者を守る法律として機能している刑法39条をなんとかせねばとつくづく思いますね。

なお、この刑法39条に関しては、「刑法三九条は削除せよ!是か非か」という本がありますのでそちらも読んでみてください。こちらの本では、この本や著者の日垣さんのことが多くでてきますので、本書を読んでから読むことをオススメします。

あと、ここでは、犯罪者の生い立ちで罪が割り引かれたことについても著者が怒っていましてが、部屋主もこの日垣さんの姿勢に賛成です。同じように悪い境遇にあろうとも頑張って真面目に生きてる人が多くいるはずですからね。いったい法曹界や鑑定人は何を考えているんだろうか。イラつきます。

10章の感想

9章に引き続き、判決後にニヤリと笑った犯罪者について詳しく書かれているのですが、心底怒りが込み上げてきます

いったいこの犯罪者どもはなんなんだろうという怒りはもちろんのこと、それ以上にこの許せない犯罪者たちを減軽する精神鑑定をする「福島章(ここで再び槍玉にあがります)」や、及び腰の検察、やろくでもない判決を下す裁判所に対する怒りも凄まじく大きくなります。とくかくここはムカツクばかりの章ですね。とはいえ、目を背けてはいけない現実がここにあります。

11章の感想

自分が聾唖者であるから罪に問われないことを知っている犯罪者が登場しますが、ここまでの精神障害を理由に無罪と減軽を訴える犯罪者と同等にイラつきます。

なによりここでは、自分たちの仕事がなくなるというふざけた理由で刑法39条の削除に反対した弁護士ども、そしてそれをそのまま棚上げにした政府が許せないです。自己保身のために凶悪な犯罪者を野に解き放つとはいったい何を考えているのでしょう。

犯罪が起きることを望むというわけではないですが、もし犯罪が起こるとするならこういう腐れ弁護士や政治家ども、そして精神鑑定家がターゲットになってほしいものです。そうでもならないと被害者や遺族の気持ちがわからないのでしょう。もっと想像力を働かせてほしいものです。

12章の感想

何度かこのブログで書いてきたように部屋主は「超」がつくほどの「下戸」なので、この章にでてくるようなケースでも反吐が出そうになります。

飲酒によって事件を起こしたら無罪になったり罪が減軽されたりするだって?ふざけるな!と声を大にして言いたい。最近の飲酒事件もそうですが日本社会は酒に対して甘すぎです。

飲酒時における犯罪はもっともっと厳罰化するべきでしょう。飲酒やシンナー覚醒剤は「原因において自由な行為」なわけですから。自由に対する対価と、結果の重大性はきちんと受けなさいと言いたいです。

酒は飲まない部屋主のような人間からすれば百害あって一利なしです。というか、いつ自分や知人がその犠牲者になるかわかったもんではありません。ゆえにアルコールなんか禁止にしてしまえばいいのにと思う今日この頃です。

13章の感想

ここを読む女性の方はある程度覚悟しておいた方がいいのではないでしょうか。ムナクソ悪さは他と比べて勝るとも劣らない上、その対象が女性であるわけですからきっと吐き気を感じるかと思いますから。男の部屋主でも相当気分悪くなりましたからね。

とはいえ、この本で触れられてる精神鑑定やマスコミ、刑法39条に関しては多少知識があったのですが、ここで登場する「刑法177・178条」に関しては初耳でしたので非常に勉強になったものです。

にしても、この刑法はいったいなんなんでしょうかね。というか、これを適用して加害者を減軽してしまう判決を出す裁判所はいったい何を考えているのでしょうか。著者も「安全と正義はどこにいったのか」と書いてありますがまさにその通りでしょう。腐ってるとしたいいようがないです・・・

14章の感想

一つの精神鑑定の出した結果が招く事態の大きさを書きたかったのか、それとも微罪でしょっぴく警察に対してなにか言いたかったのか。いまいち著者の意図がよくわからん章かと思います。もちろん部屋主の頭が悪いという可能性が大きくてあれですが。

15章の感想

ここもやれやれですね。もちろん子どもを殺す親や、親を殺す子どもに対する怒りもありますが、そんな殺人者に対して無罪放免を出す日本の司法制度に対する怒りが込み上げてきます(もちろん例外はあると思いますが本書に登場するようなケースでは)。

ここまで著者が何度も述べてきているように「正常な精神で行なわれる犯罪」など皆無に等しいわけですから、「正常」などという理解不可能は基準では、「こんな珍奇な論理がまかりとおるならば、世の中の大半の殺人事件は無罪とならざるをえない」という、これまた著者の言うとおりになることでしょう。

16章の感想

人格障害に関する細かい記述が勉強になるものの、他はだいたいがここまでの書かれてきたことのまとめといった感じですね。ゆえにここで書くべき感想はすでに書いてあります。

とはいえ、この章にも新たな犯罪者が何人も登場するので、ここまでと変わらぬ気分の悪さを味わえます。これだけ腸の煮えくり返る事件とその対応があるということは、著者の言う「日本は世界一、犯罪者に優しい国であり、量刑が最も軽い国なのである」という意見もあながち間違ってないのかもしれませんね(もちろん著者はきちんと心神喪失に関して各国と比較してあります)。

ちなみに、ここではかつて日本を震撼させ、このブログでも「14階段」で紹介した「新潟少女9年2ヶ月監禁事件」の犯人「佐藤」についても少しだけ触れられています。

終章の感想

この章は完全にここまでのまとめです。上記してきたような問題点とその改善点について言及されていますので、ここだけでも立ち読みして欲しいと部屋主は思います。

最後に、この本で紹介されている最低な犯罪者たちはもちろん、そんな犯罪者を無罪にするためにろくでもない理論を持ち出す精神鑑定家たち、異常な判決文で無罪判決を下す裁判所の人間たち、自分たちの利益のために39条削除に反対し意味のない精神鑑定をしようとする弁護士たち、これらの事実を報道しないマスコミ関係者たち、立法を担ってるいるという自覚すらなさそうな政治家たち、あなたたちは本当に「正常」人間なのですか・・・と、問いたいです。

そして、著者の「甚大なな被害にあってから、はじめて現行法の不条理を知る、というのは悲しいことです。本書がそうならないための一助になることを祈りつつ──」という言葉があらわしているように、ここを読んでくれている皆様も一緒に今後の日本について考えていきましょう。

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行動経済学 経済は『感情』で動いている

経済学や心理学は興味ある分野なので買ってみました。得意分野の人心操作について触れていそうでしたし、学際的な分野が好きってのもありますね。

行動経済学 経済は「感情」で動いている Book 行動経済学 経済は「感情」で動いている

著者:友野 典男
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

部屋主の独断ランク:A

内容紹介のようなもの

第1章「経済学と心理学の復縁・・・行動経済学の誕生」では、合理的で利己的な「経済人」という概念のおかしさ、「人間行動の実際、その原因、経済社会に及ぼす影響および人々の行動をコンとロールすることを目的とする政策に関して、体系的に究明すること」を目指す行動経済学について、進化論的視点の重要性、人間の認知能力の限界という観点を備えた「限定合理性」という概念、などについて書かれています。

第2章「人は限定合理的に行動する・・・合理的決定の難しさ」では、例題を出し確率の理解の難しさに関する「ベイズ・ルール」や「基準率の無視」について、論理的推論の難しさ、ゲーム理論と合理性、囚人のジレンマ、などについて書かれています。

第3章「ヒューリスティクスとバイアス・・・『直感』のはたらき」では、「問題を解決したり不確実なことがらに対して判断を下す必要があるけれども、そのための明確な手がかりがない場合に用いる便宜的あるいは発見的名方法」である「ヒューリスティクス」について(「利用可能性」「代表性」「アンカリングと調整」「再認」「感情」など)、「バイアス」について(「後知恵」「確証」など)、平均への回帰、環境(生態)に適応したヒューリスティクスは上手く機能するという意味の「適応合理性」、人間がもっている2つの情報処理システムに関する「二重プロセス理論」、直感、人間とロボットの「フレーム問題(問題解決に何が関連があって無視してはいけないのか、逆に何を無視してもよいかの適切に決められない問)」、などについて書かれています。

第4章「プロスペクト理論(1) 理論・・・リスクのもとでの判断」では、「価値関数」と「確率加重関数」を使い「期待効用理論」の代替理論として考案された「プロスペクト理論」について、「参照点依存性」「感応度逓減性」「損失回避性」について、確実性効果、「編集プロセス」と「評価プロセス」、などについて書かれています。

第5章「プロスペクト理論(2) 応用・・・『持っているもの』へのこだわり」では、「保有効果(実際に所有している場合、それを持っていないと場合よりもそのものを高く評価すること)」と「現状維持バイアス(現状からの移動を回避する傾向)」、「公正とは何か」や「分配の公正」について、などについて書かれています。

第6章「フレーミング効果と選考の形成・・・選好はうつろいやすい」では、フレームが異なることによって異なる判断や選択が導かれる「フレーミング効果」、初期値の選好、貨幣効果、メンタル・アカウンティング、サンクコスト(埋没費用)、選好の推移性、「極端回避性(妥協効果)」、理由に基づく選択、「満足化人間」と「最大化人間」、などについて書かれています。

第7章「近視眼的な心・・・時間選好」では、「利子率」と「割引率」、人は将来の利得を割り引く傾向があること、指数型割引、双曲型割引、負の割引率、類似性による選択と割引、時間に関するフレーミング効果、「現在志向バイアス(近視眼的)」、「対象が近い場合と遠い場合とで、同一の対象に対しても着目する観点が異なる」という「時間解釈理論」、現在志向バイアスと時間解釈理論、望ましたと実現可能性、異時間点間の選択の難しさ、「記憶効用」「経験効用」「決定効用」、満足の最大化、などについて書かれています。

第8章「他社を顧みる心・・・社会的選好」では、他者の利得を考慮に入れる「社会的選好」、公共財ゲーム、条件付き協力、処罰の導入とその結果、「世間」という「参照グループ」、「評判形成」と「間接的互酬性」、「経済人」と「互酬人」、処罰で低下するモラル、結果の公正と意図の公正、文化で異なる行動傾向、などについて書かれています。

第9章「理性と感情のダンス・・・行動経済学最前線」では、理性と感情の相互作用について脳神経科学の方法によって探求しようとする「神経経済学」について、推論や意思決定を行う際には一種の「身体感覚」が重要な役割を果たすかもしれないという「ソマティック・マーカー仮説」、進化と人間行動、生物学的適応度と経済的利得、文化的進化、集団の淘汰、遺伝子と文化の共進化、などについて書かれています。

※巻末にはかなり14Pにわたり主要参考文献(ほぼ英語)が掲載されています。

部屋主の感想

興味のある分野だっただけに非常に楽しく読めました。そのわりには読むのに丸3日ほどかかりましたが。新書のくせにといったらあれだけど400P近いボリュームがありましたし。

中でも前半は、人間の合理的思考がいかに当てにならないかや確率的思考がなってないかを読者にいくつもクエスチョンを出してくるので、それをいちいち考えてましたので時間をくいました(ちなみに正答率はせいぜい3~4割くらいかと。これでも載ってる実験結果と比べるとマシな方だったりです。自分の論理性や確率的思考に自信のある人はやってみてください)。

中盤は、興味があるだけでほとんど知識の経済学的な計算などだったので時間かかりました。このへんはいわゆる証明部分だったのでさほど面白くもなかったですし。

とはいえ、この中盤も実はけっこうサラリと流し読むことも可能ですし、これまた上記したように読者への語りかけも多く、けっこう難しそうな単語が並んでる割にはさほど難しくなくさくさく読めます。それに色々な分野をけっこう幅広くレビューしてるので内容紹介で書いたようなことに興味がある方の入門書になかなか良いのではと思います。

部屋主は大学院生時代に「ゲーム理論」が専門の社会心理学の教授に「複雑系」系の本を紹介してもらって以来(そのとき教えてもらったのがサイドバーのオススメにもあり以前紹介した「複雑系入門」です)この手の分野の本はちょこちょこ読んでいるので、けっこうかぶることが多くとても面白かったです。

重なっていた部分に関しては、「確率的思考」や「論理的推論」では、「人間この信じやすきもの 迷信・誤信どうしてうまれるか(この本は本書でもオススメされてます。興味が出た方はこのブログのサイドバーから購入してみてください)」が、「「ヒューリスティクス」では「個人と集団の意思決定 人間の情報処理と判断ヒューリスティックス」が、「ゲーム理論」では「入門 ゲーム理論 戦略的思考の課科学」が、「文化差」などでは「比較認知科学への招待」あたりがが部屋主のオススメです。

「遺伝子」「脳」「進化」などにに関しては「そんなバカな!遺伝子と神について」、「シナプスが人格をつくる 脳細胞から自己の総体へ(著者ジョセフ・ルドゥーは本書にも名前が登場します)」や、「心はなぜ進化するのか 心・脳・意識の起源」、「ドーキンスVSグールド 適応へのサバイバル・ゲーム」、なんかが面白かったですね。

あまり感想らしからぬ感想で申し訳ないのですが部屋主の勉強してきたことがいっぱい登場していたので嬉しかったのでこんな感じになってしまいました。他にも書きたいことはあるのですが、あまり長くなるのもあれなのでこの辺で。とりあえず、「処罰で低下するモラル」と、「ソマティック・マーカー仮説」が部屋主は興味深かったです。

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