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日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか 久坂部羊

読みました。

日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか (幻冬舎新書 く 1-2) Book 日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか (幻冬舎新書 く 1-2)

著者:久坂部 羊
販売元:幻冬舎
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部屋主の独断ランク:

内容紹介のようなもの

「日本の国民医療費が三十三兆円を超えて、大きな問題となっているの周知の通りです。中でも終末期といわれる死の直前の医療費が、大きな負担となっています。統計によって異なりますが、終末期医療費が全老人医療費の二十%を占めるとか。国民一人が一生に使う医療費の約半分が、死の直前の二ヶ月に使われるという報告があります。

 命はかけがえのないものだから、治療にはあらゆる手を尽くすというのは当然です。しかしその発想だけでは現実は立ち行かない。患者はほとんど見込みがなくても治療を求める、医師は治療すればするだけ儲かる、この状況では、医療費が膨大になって当然です。そろそろ冷静になって、現実をしっかり受け止め、無駄な延命治療から死を支える医療に転換すべきではないでしょうか。

 死を支える医療は、余計な治療をしません。医療費が安くなれば、患者の側の自己負担も少なくてすむし、国民の医療費も削減されます。これで困るのは、無駄な治療で収入を得ている医師だけでしょう。

 早い死というのは、患者を見捨てることではありません。苦しむ時間を短くするという意味です。病気や老いと闘いながら、精いっぱい生きてきた人も、死が近づくとどうしても衰弱します。食事や排泄などが自力でできなくなり、これ以上生きることの意味が見出せなくなってしまいます。それを理想主義的な励ましで無理にがんばらせたり、延命治療で長引かせるのは残酷なことです。死は自然の成り行きなのですから、どこまでも抵抗するのはあ不毛です。

 極論かもしれませんが、死が避けられない状態になってから、少しでも長くとあがくのはあ、手遅れだと私はおもいます。そうなる前に時間は十分あったはずです。元気な間に思い切り努力し、考え、楽しみ、生きておくべきです。その手応えが自分なりにあればいざとなっても少しは落ち着いていられるのではないでしょうか」本文より

第一章 長生きは苦しいらしい

・老人の『死にたい願望』

・初体験としての長生き

・リアル長生きシミュレーション

・『年寄りをいじめんといてくれ』という叫び

・たとえ元気に老いても

・バラ色情報の罠

第二章 現代の『不老不死』考

・アンチエイジングの流れ

・冷凍保存でよみがえる日を待つ

・アメリカの不老不死

・『アンチエイジング』という市場

・底なし沼の『抗加齢ドッグ』

・欲望肯定主義の陥穽

第三章 長寿の危険に備えていますか

・簡単に死ねない時代

・長寿の危険は高まっている

・虐待の危険

・孤独と憤懣の危険

・自殺の危険

・マスコミに踊らされる危険

・オムツはずしの危険

第四章 老後に安住の地はあるのか

・グループホーム殺害事件

・『認知症介護の切り札』というウソ

・触れ込みはパラダイス

・あまりに高額な有料老人ホーム

・ホームの都合で医師を替えることも

・収益のためなら入院も拒否

・だから安住の地はない

第五章 敬老精神の復活は可能か

・老人が快適に暮らすために必要なもの

・敬老精神が衰退した理由

・老人の側にも原因が

・それでも立派な老人はいる

・どういう老人が尊敬されるか

・老いていく楽しみを発見

・老人は弱るからこそ知恵をつける

・“老人力”より“満足力”

第六章 健康な老人にも必要な安楽死

・立派な老人にも悩みが

・『あんたなんか死ねない』という意地悪

・片手落ちの「PPK(ピンピンコロリ)」

・日本の安楽死土壌

・『表の安楽死』と『裏の安楽死』

・オランダの安楽死事情

・死んだほうがいいという状況

・安楽死すべきかせざるべきか

第七章 死をサポートする医療へ

・むかしはみんな家で安楽死していた

・死を支える医療とは

・江戸時代のような看取り

・失敗例

・早い!うまい!安い!

・モルヒネ不使用の悪循環

・求められる“死の側に立つ医師”

第八章 死に時のすすめ

・がんを受け入れて死んだ医師

・死の達人・富士正春氏の場合

・死を拒否する人の苦しみ

・現代のメメント・モリ

・病院へ行かないという選択

・寿命を大切にするということ

・死に時のすすめ

感想

オススメです。

誰もが心のどこかでそう想いながらも、口に出すことが難しいであろう提言を、豊富な事例とともに声高に叫んでくています。

これからの日本を考える上で、多くの方々に是非とも読んでおいてほしい一冊だと思います。

特に中盤から終盤にかけて。

抜粋

「人間はなかなか自然に死ねないようになってしまいました。長生きへの欲望を無批判に肯定したため、命を延ばす手だてだけが飛躍的に増えてしまったのです。命はただ延ばせばいいというものではありません。どんな風に伸ばすかが問題なのに、医学はその視点をあまり重視してこなかった~略~こんなにまで生きたくない。そう思っても、手遅れというわけです」

「どんなに苦痛に耐えても後は死ぬだけ。しかもそれが耐え難い痛みであったり、息苦しさであったり、身の置き場のないだるさであったりと、直接肉体を苛むものだけに恐ろしい苦痛といえます。無理をしなければならない理由があるのでしょうか。

 理由があるとすれば、死にゆく本人ではなく、遺される人の側の問題でしょう。家族や友人が少しでも長く生きてほしいという思いから。死にゆく人を容易に苦痛から解放しないのです」

「入院した限りは、病院側も治療をせざるを得ないのでしょう。苦しみだけ取って、あとは何もしないでというわがままは通してもらえないのです」

「介護も医療も、資源です。無尽蔵にあるわけではない。老人や病人が増えすぎて、今や需要と供給のバランスは完全に崩れています。にもかかわらず、需要を抑えようとする心配がまるでない。それどころか、世の中はますます需要を増やす向きに動いているように見えます。

誰も長生きする権利はある。だれもが安心して老いられる、だれもが十分な介護福祉を受けられる。そんな欲望肯定主義に、社会が振りまわされているのではないでしょうか。社会の実力以上の負担を背負い込み、かつ理想を求めすぎているのでは?~略~このような困難な状況に日々直面していると、考えはどうしてもある方向に向かわざるを得ません。それは、要するに、需要を減らすことです」

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コメント

こんばんは

お久し振りです!
年度末は殺人的スケジュールで仕事をしていたのでコメントを残す余力がありませんでした。
すみませんm(_ _)m

とても興味深い本ですね。
先日、とても大切な人が亡くなってしまい非常に悲しい思いをしました。
92歳でした。
まぁ、特別に延命治療をした訳ではないのですが。

人間の死に際、難しい問題だと思います。
親や大切な人がそういった状態になった時、少しでも生きていて欲しいと延命治療を希望するかもしれません。
しかしそれは「大切な人を失いたくない」という自分の為の考えだけなのかもしれません。
うちの両親はそうなった場合「延命治療はやめてくれ」と言っていますが。

投稿: nori | 2008年4月16日 (水) 01時20分

あ、これは読みたいです。
『世代間最終戦争』読んだときにも
考えさせられましたが
今後の超高齢社会が不可避である以上
「一律的な年寄り扱いをやめる」
「需要を減らす」
という発想は絶対に必要だと思っています。

国のために本気で決断できる政治家が出てくること
国民が痛みを引き受ける決断を支持することetc.
ハードルはあまりに多いですが
それでも問題を先送りにし続けるだけでは限界があるわけで、
その限界もそう遠い未来のことじゃないのが見えてるだけに
厳しい現状ですね・・・。

投稿: 月下 燕 | 2008年4月16日 (水) 21時02分

初めまして、おいぼしあゆむと言います。
拙作「安田川」お暇なときにでもご一読いただけたら幸いです。

投稿: あゆむ | 2008年4月17日 (木) 10時07分

父が病気で亡くなるとき、
延命治療に関して考えさせられました。
どんな姿でも生きていて欲しいと思う反面、
痛みに耐え、チューブだらけの父の姿は、
見るに耐えられなかったです。

医者からもう駄目だ、と言われていても、
でも、ひょっとしたら助かるかも・・・
って考えちゃうんですよね。

また大切な人が同じ状況になった時、
父の時と同じ様に葛藤してしまうと思います・・・
でもそれは、こちら側の都合なんですよね。
うーん、難しいなぁ・・・

投稿: caren | 2008年4月17日 (木) 17時25分

 難しい問題だし、感情の問題だから一刀両断はできないのだけれど、僕は個人的には延命治療には反対です。自分が病気だった人間のあくまで一意見ですけれど、やっぱり無理に長く生かされるのは嫌だし、さっぱりとしたいと思っちゃうのですよ。
 日本の場合は特にそのあたりがバランス悪い気がします。

投稿: 樽井 | 2008年4月18日 (金) 00時48分

>noriさん
お久しぶりです。
お元気そうでなによりです^^

私の場合この本を読んでいる時に祖母が危篤状態、
読後に他界しといった感じでしたので、
色々と実感を伴って考えさせてもらえました。

実に難しい問題だと思いますが
遺される家族の感情で本人の苦しみを伸ばすのはどうかと
私個人としては思います。

>月下燕さん
「世代間最終戦争」も実によく考えさせられましたが、
問題としてはこちらの方がさらに困難な感じがします。

とはいえほおっておくとそれこそ大変なことになるので、
何かしらの具体的な回避策を思うのですが、
色々と考えてみてもうまい案がなかなかに出ないのですよね。
ほんとどうしたものかです…

>あゆむさん
コメントありがとうございます。
ただいきなりそういわれましても(^^;

>carenさん
まさにそれです。
それがこの問題を難しくするポイントかと思います。
私も今でこそ賛成とか言えてますが、
実際に大切な人がそういう状態になると
冷静に判断を下せるかとうか…
ううむです。

>樽井さん
確かに難しく一刀両断も不可能な問題ですが、
国の将来と自分達の老後は
早い段階から考えておいた方がよいかと思います。
特に日本人は樽井さんもおっしゃっているように、
その辺りのバランスが非常に悪いと思いますし。
どうしたものでしょうかね。

投稿: シン@部屋主 | 2008年4月18日 (金) 21時00分

はじめましてこんにちは、ガバチャと言います。
死生観をちゃんと持たなければと思うのですが・・・なかなか。
「鮎釣り師のひとり言」ヨロシクお願いいたします。

投稿: ガバチャ | 2008年4月19日 (土) 09時04分

>ガバチャさん
はじめまして。
コメントありがとうございます。
死生観はほんとに大事にだと最近思っています。
上のあゆむさんとはお友達なのですかね。

投稿: シン@部屋主 | 2008年4月21日 (月) 06時49分

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